半月ほど前に渋谷にある「ヒューマントラストシネマ文化村通り」にて観てきました。
この映画にまつわる個人的な話はさておき……
主演のガエル・ガルシア・ベルナルが目的でした。
彼は『モーターサイクル・ダイアリーズ』以来、大好きな俳優です。
今回の映画は結婚11年目にして別れて別々になったはずの夫婦の物語。
こんな風に書くと単なる恋愛映画になってしまう。
そもそも、観た映画を忘れないように書いているつもりが、
批評のようになっていたらショックである。
書いている動機も、その内容もあくまでも“個人的なもの”なのである。
人は失恋し淋しさを感じるとき、
次の恋へと向かうときに何を求めているのだろうか。
そして、恋愛の最中にあっては何を求めるのだろうか。
理想の恋人か、付き合っていた相手、付き合っている相手の優しさなのだろうか。
そもそも、交際相手に求める条件でよく1位に挙げられている「優しさ」。
これを挙げている人を僕は恋愛において信用してはいない。
僕の個人的な嫌悪感はさておき、
人は愛情を暖かいものだと形容する。
それはきっと、幼き頃に抱かれていた母の、父の腕の暖かさであり、
好きな相手とつないだ手であり、抱きしめた肩であり、胸の暖かさである。
肌により愛情を感じ、包まれているという暖かさを感じる。
ならば、失恋とは相手の喪失であり、
同時に(相手の)肌の温もりの喪失でもある。
幼年期を過ぎ、少年、青年へと年をとるにつれて、
親の肌の暖かさを感じる機会は減り、なくなる。
それでも人はその「失われた肌」の暖かさを求める。そこから恋愛が始まる。
失恋して、立ち直る手段として新たな恋を見つけることに向かうのも肌の暖かさを取り戻すためである。
そんなことをこの映画を観て感じ、考えた。
すごく粗い考えではあるが、恋愛を考えるときに、直感も大事ではあるが、
経験的に感じていることのできる感覚の側面も大事であると思う。
単純な発想ではあるが、喪失したものの回復ということは色々な場面において見受けられる。
今回は映画と兼ね合わせて「恋愛」と「肌」を当てはめて考えてみた。
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