2009年6月12日金曜日

芸術と哲学

よく文学作品について哲学者がそのモチーフ(主題)について文章を「書く」ことがある。
あえて「語る」と言わないことには理由があるが、それはいずれまた。

特に現代になるにつれて文学が哲学的主題を引き継ぐことが多くなった。
昔からあっただろうが、それが表面的なものとして出現するのは現代からではないか。
哲学的主題を文学が引き継ぎ、その文学のモチーフを哲学が引き継ぐ。
現代において哲学と文学の関係は強固なものへとなっている。
実際に読んだことはないが、ジョルジュ・バタイユ、小林秀雄、ミルチャ・エリアーデ、福永武彦、
埴谷雄高がいるし、現代思想が社会問題を扱うように、
文学でも三島由紀夫などが切り口は違うが似たような作業を行っているのではないだろうか。
エリアーデの幻想小説『若さなき若さ』は昨年コッポラが映画化した。
『コッポラ胡蝶の夢』というタイトルである。
これは文学部の先生に勧められた作品である。実際に観たが、主題としてライプニッツの「可能世界」を扱っていると考えても問題はないはずである。

哲学が扱っている(扱っていた)モチーフを芸術が引き受けることが多くなった。
現代になり芸術内でも手段が豊富になった。
詩、文学、音楽、映画そして絵画……
詩と哲学の関係では個人的に好きなルクレティウスがいる。
彼のやっていることを何らかの形で引き継いでいる人物としてミッシェル・セールの名を挙げても差し支えないであろう。
文学は先に挙げたとおりである。
音楽ではバロックの時代を象徴するバッハ。彼が意図的に哲学的な問題を引き継いだというより、
彼の音楽はその時代に共鳴したものであっただろう。「歪んだ真珠」であるバロック。
歪なものの中にある調和、これが時代の主題としてあったのかもしれない。
映画については昨年ようやく完結したドゥルーズの『シネマ』がある通り、
映画の中には哲学的主題として観ることができる要素が多くある。
先日観たヴィム・ヴェンダースの『ベルリン 天使の詩』などがある。
これは宗教的な主題があるのかもしれないが、中世以降、哲学と宗教の関係は密接である。
(こんな大雑把に言ってしまうと先生に怒られそうであるが……)

今日、本当に書きたかったのは絵画についてである。
理由は以前より好きで気になっていた黒田アキについての特集が『水声通信』で組まれていた。
これをきっかけにいろいろと調べてみるととても素敵な人であることが分かる。
先日オープンしたモーブッサン銀座店。
内装デザインを手掛けたのが黒田アキである。
来週予定があえば、友人と見に行く予定である。

今晩、特集を読むか、古川日出男を読むか悩んでいる。
おそらく黒田アキの特集だろう。
読み終えたら、画集を購入したい。さらにはフランスで作っていた雑誌『Noise』を大学にあれば、
セール、デリダ、そして黒田アキの文章をコピーして読みたい。
(雑誌の名前は「ノイズ」ではなく「ノワーズ」である)

勉強会をサボり、図書館でラテン語の勉強をした。
先日から学部以来、久しぶりに図書館にこもりだした。何と楽しいのだろう。
体調も良くなりつつある。
あと1ヶ月ほどで前期が終了である。
一つでも多くのことを学び、成長の印を残していきたい。

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