2009年5月28日木曜日

恐怖

勉強をしていることに恐怖する。
先が見えないとか、生きていけるのかとか、
当たり前のことに対してもそうである。

しかし、知ることへの恐怖というかおびえもある。
知ってしまっていいのか?
人間は知ることを欲するというが、本当にそうなのだろうか?
知ることを恐怖し、拒絶している人もいるだろう。
そう考えると、知ることが怖いことであるようにも感じる。

先日、友人を捕まえて長々と電話した中で「希望/不安(絶望)」と「孤独/愛」は表裏一体。
この構造があるのではと話をしていたが、
知ることも善悪の二面性があるのだろう。
よくある議論のように二面性を語ることは下らないことのように思える。

話はかわるが、社会人の友人との距離感が難しい。
高校時代の友人が仕事を辞めたと聞き、直接は聞いてないので、
何気ないメールをしてみたが、返信がない。
彼はものすごく迷惑をかけたが、よき理解者の一人である。だから心配である。
しかし、友人に対して思いやりを持ち、心配している自分に何か優越感を感じているのかもしれない。
辞めた友人を見下している訳でもなく、馬鹿にしている訳でもない。
ただ、同情している自分に対して優越感を感じている。
社会人の友人の多くは自分のこういう面に気づいているのかもしれない。

きっと忙しいのだろう。そう思うことで自分を慰めると同時に、
負けるもんかと鼓舞させている。

久しぶりに人に会うとき、成長していない自分を見せるのは嫌である。
急成長を望めるほどの才能もない。鈍牛の如く一歩ずつ進んでいくしかない。

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