2009年5月9日土曜日

「可能性」について(講義のまとめ)

先日出た講義はベルクソン、ドゥルーズの可能性について行われた。
ライプニッツを下敷きにして「可能性」について少し考えていた自分としては触発された。

決定論VS可能性

まずはこの対立への懐疑から始まる。
簡潔にいえば、すべてが必然的である世界に対して、
選択することによって世界を構成する可能性。
しかし、可能性を選ぶということは、選択肢の中ら一つのものがある種「必然的」に生じてくる。
選択するものの中には必然的に現実化するものがあるのである。
つまり、決定論に対抗すべく導入された可能性こそが決定論へと陥れる原因である。

これに対抗すべく考えられたのが、
措定されている可能性ではなく「可能性の創造」である。
ある出来事が生じた地点へと回帰して、そこに別の可能性があった、
という創造を行うことにより可能性を創造、確保することである。

これは私が以前より考えていたライプニッツの可能性、
つまり「事後的可能性」に通じているのでは、と考えられる。
ライプニッツの可能性はある出来事つまり命題として成立したことにたいして、
その対立命題を立てることにより可能性は成立する。
ライプニッツの命題は現実か単なる命題かを問わず事後的になる。
可能性の確保についてライプニッツは対立命題を作るだけで十分であるとしている。


久しぶりにまじめなことを書いて疲れた……

0 件のコメント:

コメントを投稿