2009年5月25日月曜日

『椿三十郎』

勉学に励むとともに、映画や文学にも触れようと思った。
先日、日記に書いた姉の結婚式(披露宴)の最後の演目は、
兄の父の演武でした。しかも居合!!

その最後の型が黒澤明の『椿三十郎』で三船敏郎演じる椿三十郎が、
仲代達矢演じる敵を切るシーンでした。

そんなこともあり観てみました。
三船敏郎はかっこいい。映画も面白い。

ストーリーは省略します。観てください。


観ていると、熱意をもった若者に方向性、知恵を与える三船。
まるで、プラトン『国家』の洞窟の比喩に出てくる哲学者。
哲学者が光の中へ導くのを拒否する人もいる。
人は世界を見たくないのである。

しかし、映画の中の若者は変革への意志がある。彼らは光の中へ導かれるのを望んでいる。
ただそれだけなら、啓蒙を促すような映画の類である。
そして、そんな映画もよくある。環境問題を危惧するような映画やらなんやら。

ここで若者だけではなく、導き手である三船も問題となる。
彼は「鞘のない刀」と呼ばれ、自身もそうであるという。
最後の場面において若者たちに向け「大人しく鞘に収まっていろよ」と忠告する。
だから、三船演じる椿は仕えることや、とどまることはできない。
そうでないと、自身が刀となり、周りを切ってしまうからである、と思う。

幽閉されていた偉い人(名前は忘れたが、自称「馬面」である)は、
自身は不正を暴くために色々と証拠を集めていたが、
若者たちはそれを知らずに行動しようとしていた。そして、多くの犠牲を出した。
若者たちは当然、上司である「馬面」に謝る。
それを「馬面」は「君たちが謝ることはない」と返し続けて
「私に人望がなかっただけだ」と返す。これこそ懐の深さだと単純に思ってしまう。

織田裕二が主演で椿三十郎がリメイクされた。
そちらがどうなっているのかも気になる。

それにしても、何かと哲学や政治思想につなげて考えるのは悪い癖かもしれない。
だが、最後のシーンの三船のかっこよさ、これを見ただけでも満足である。

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