2012年5月27日日曜日

『愛と経済のロゴス』勉強会用メモ(3)

2.貨幣から「増殖」へ

 具体的なことは、後で追うとして、「贈与→交換」という流れの一端が見えたのではないか。そこで、もう一つ、気になっている「貨幣」という問題、これが『愛と経済のロゴス』のなかで、どのように扱われているのか、ということを確認しておきたい。
 その前に、一つ書いておきたい事がある。先日、ブログのなかで、テーマの一つとして「貨幣」を設定した(http://le-monde-com-possible.blogspot.jp/ )。しかし、考えれば考えるほど、私が考えている問題としては不十分であると思うようになった。というのも、貨幣を問題として設定すると、「富の増殖」という問題を考えるのが難しくなっていった。そこで、問題として貨幣を手がかりに「富」あるいはその「増殖」を設定しなおし、そうすると『愛と経済のロゴス』の後半(「増殖の秘密」以降の章)を読みやすくなるのでは、と思う。

 「貨幣」を手がかりに、といったので、「富の増殖」という問題を考える前に、「貨幣」について簡潔に整理しておくことにしよう。

 交換では、贈与で働いていた人格性の力や霊力などのすべてが、抑圧され、排除され、切り落とされてしまいます。贈与の全過程を動かしていた複雑な階層性が、均質な価値量の流れていく水路のような単純な構造に、つくりかえられてしまう中から「貨幣」が出現します。(pp.48-49)
 ここで書かれている内容は、先ほど贈与の去勢により交換が生じる、といっていたことと同様のことを説明している。複雑で不均質な「贈与」を単純化し、均質化したところに交換が生じ、さらには「貨幣」が生じる(個人的には、この辺りも気になっているので、具体的に均質化の過程について、あとで書こうと思います)。『愛と経済のロゴス』のなかで、「交換―贈与―純粋交換」というのが「ボロメオの結び目」として示され、「贈与」とよばれているものは「交換の原理」と「贈与の原理」の接している領域で生じている事実であり、反対側では純粋贈与とも接している。前者の領域では商品あるいはモノの扱いが問題となっているのに対して、後者の領域では「純粋生産」、「増殖」が問題として取り扱われることになる(p.51,68,139)。とすると、私が問題にしている「富の増殖」は「贈与―純粋贈与」が接する領域で生じている事実だということになる。
 「贈与―純粋贈与」の接する領域では、どのような事態が生じているのか。そこで、「純粋贈与は、贈与の循環がおこなわれる円環を飛び出してしまったところにあらわれる」(p.63)という純粋贈与の特徴を思い出していただきたい。そうすると、p.77で記されている図を理解しやすくなる。この図のなかで、純粋贈与が「垂直的に」贈与を通過していくというのは、純粋贈与が贈与の領域に留まるものではなく、「記憶されることを望んでいない」ものであり、「目に見えない力によってなされる」ものであることを示している。この領域で生じる「増殖」という事態は、マオリ原住民の「ハウの哲学」によって説明されている事態に他ならない(pp.66-67)。このように純粋贈与が世界を「垂直的に」横切っていくとき、世界には何かが生まれる、という事態を説明するために、『愛と経済のロゴス』では議論が「魔術」へと進んでいく(中沢氏は「魔術」への言及から、宗教と芸術をつないでおり、このテーマが「経済」から派生したことを考慮するならば、三つの領域がつながれていることになる)。
 「増殖」というテーマに関して、魔術との関連を述べる程度にとどめ、まとめを一旦終える。このテーマは後日改めて、これまで読んだ本との関連の中でまとめ、考察を展開できればと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿