『ショーシャンクの空』はとても有名な映画である。
この映画のワンシーン、主人公のアンディーが届いた本、レコードの中から、
「フィガロの結婚」を選び、方喪失から無断でかけるシーンがある。
囚人たちも、看守たちも、空を見上げ、音楽に耳を、体を傾ける。
有名なシーンである。
このシーンは魂が、事物が共感している。
音楽という、一つの事件に対して、魂が、事物が一斉に音楽の方へと向かう。
この瞬間に、長いこと動かずにいた人々の魂が一斉に動き出す。
一つの魂が動き、それに応じて他の魂が動く。
魂の振動は身体という事物を伝い、空気を伝い、他の身体へと入り、
その身体に宿る魂を振動させる。そして、全ての事物が、魂が、一斉に振動する。
このとき、ショーシャンク刑務所には一つの自由が立ち現れる。
各々の自由ではなく、一つの自由だ。
魂と事物としての身体の共感、協働。魂同士の共感、協働。事物同士の共感、協働。
全てのものが、勝手気ままに動く事が自由ではなく、
全ての物が共感に基づいて、共に働く、つまり協働していることが自由なのだと思う。
そのとき、個々の事物は勝手気ままに、刺激に対して振動しているのかもしれないが、
全ての事物は一つの刺激に対する共感に基づいて、振動している。
そう考えるならば、個々の事物が自由であると同時に、
全体として、一つの自由が成立している、ということが出来るのかもしれない。
昨日、カッチャーリについて書いていた時、「事物の共感」ということを、
引用文中で見かけた気がする。
たまたま、今日観ていた映画で、同じような事を考えることになったので書いてみた。
上に書いたシーンの後に、食堂でアンディーは心を石に喩える。
石は記憶を持つ。その固さゆえに。
丸い石も、ゴツゴツとしている石も、記憶つまりは歴史を持っている。
色々な所を転がり、その表面に傷をつける。溝が出来る。これらは石の歴史である。
ゴツゴツとしている石は、雨に打たれれば、川の中を転がれば、
角が取れていき、丸くなる。丸くなった石の表面には傷もなく、
滑らかな感触がある。しかし、丸くなるためには多くの傷を負うという、経験があり、
無数の経験をその表面に刻んでいる石は、歴史を持っているのである。
魂もそうだろう。事物もそうだろう。
傷を持つものは歴史を持っているのである。
断片、一時終了。
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