2012年6月8日金曜日

『愛と経済のロゴス』勉強会用メモ(5)

『愛と経済のロゴス』では、経済のダイナミズムを交換、贈与、純粋贈与という三つの指標とそれらの相互作用により生じたインターフェイスを見つめることで描き出そうとしている。P・レヴィがおこなった考察を手がかりに、これまでのブログでは中沢新一が行ったものとは別の側面からアプローチしてきた。ここで、もう少し、別のアプローチをしてみようと思う。そこで、今回は「富の増殖」という点を考察してみようと思う。『愛と経済のロゴス』において、この問題は第三章「増殖の秘密」以降で扱われており、もしかしたら、いまさら何かを付け加えたり、別の視点から眺める必要性はないかもしれない。しかし、あえて不満を挙げるならば、第三章「増殖での秘密」での考察だ、と私は答える。この章以降で、「中沢節」が一気に加速していると思うと同時に、一番気をつけなければならない箇所であるとも思う。最近、勉強会のために読み返していて、この章でいきなり「魔術」の話になっていることに、すこし怪しさ(?)を感じたが、この章以降の話の加速は読んでいて面白い。
 そこで、勉強会用メモをブログで書くにあたり、「増殖の秘密」を自分なりに考えてみようと思った。もう少し前置きを続けさせて頂く。このブログで考えるのはレヴィ『ヴァーチャルとは何か?』を中心にした「増殖の秘密」であり、何の増殖かという問いには「富の増殖」と応えておく。ノートにメモしたことを参照しながら書いていくので、展開に飛躍などがあると思うが、その際は指摘していただければ幸いである。

 前回の記事では、貨幣から情報と知識へと話を展開させながら、経済が全体性を備えた運動である、つまり「経済のダイナミズム」を見てきた。前回の内容を踏まえつつ、「貨幣」から話を始めることにする。貨幣はそこに刻まれている情報が極端に少なく、記号化しているため、物々交換における商品よりも流動性が高く、その特徴は公共性、匿名性だとした。公共性、匿名性という特徴はM・セールからの引用や『生成』における「ペルソンヌ」への考察などを見れば、レヴィの主張をよりよく理解することができる。セールによれば、空白という無限定である貨幣は容易に交換することができる、ということになるが、その貨幣以上に容易に交換できるものが「情報と知識」であり、それは「富を生産する主要な源泉」となりつつあり、「経済的な財のなかで今後最も重要になっていく」(pp.62-63)。
 セール『生成』での指摘のように、貨幣の流動性はそこに刻印されている情報の少なさに由来しているとするならば、「貨幣における情報」は限りなくゼロに近いものであり、(極端に)記号化されたものだと考えることができ、例えば100円玉に刻印された情報としての「100円という価値」ということになり、この場合は「交換価値」(だけ?)ということになる。このように、「貨幣における情報」が一定の地理的範囲で共有されているので、私たちは容易に買い物をすることができ(貨幣の「公共性」)、交換における貨幣の流動性は物々交換における商品のそれ以上だ(貨幣の「匿名性」)といえる。前回の記事、少しばかりの「+α」を前提にして、富の増殖を考えてみたいと思う。そこで、まずレヴィからの二つの引用が意味していることは何か、考えることにする。

情報と知識は今後、富を生産する主要な源泉となる。(p.62)
情報と知識は経済的な財の中で今後最も重要になっていく。(p.63)

 一つ目の引用では「情報と知識」は「富を生産する主要な源泉」とみなされており、二つ目では「情報と知識」の「経済的な財」としての重要性が主張されている。この二つが意味することを、できるだけ丁寧に追うことにする。
 まず、一つ目の引用から「情報と富の関係とは?」という問いを設定する。この問いが意味するのは、情報は富の源泉だというのが引用文中の主張だが、情報はどのように富を生産するのか、ということだ。そこで、情報と富の関係を考えるために、貨幣の話から離れ、商品を例に挙げることにしよう。
 前回のまとめで貨幣の特徴は匿名性であり、セールによれば貨幣は「無限定=空白」という特徴を持つ。極端に情報が少ないので、価値としては安定した交換が可能となる。貨幣の価値自体は記号化され、安定的なので、外国の貨幣に換金する場合を除けば、ほとんどない。それとは異なり、商品には貨幣以上の情報が付いており、これにより価値が左右される。例えば、「完全無農薬」、「○○作」、「高級素材使用」などの情報が付加されればされるほど、商品はより多くの特異性をまとうことにより、限定され、価値は変化していく。この場合、付加される情報は商品に対して「肯定的な」ものだが、当然、「中古」、「生産国○○」などの情報により「否定的な」ものが付加され、価値が下がる場合もある。「肯定的な情報」であろうと「否定的な情報」であろうと、それらが付加されることにより、商品は「より限定されたもの」となり、特異性を身にまとっていくことになる。このように、情報による限定により、価値あるいは富が生み出されるのではないだろうか。このとき、物質的なものは、情報が多重に刻印される「質料的媒介」とみなすことができる。
 商品に関する情報が多すぎると、全てを考慮に入れることはできないので、私たちは商品を購入することはできない―逆に、少なすぎても、決め手にかけてしまうので購入にはたどり着かない―。とすると、貨幣という物質それ自体に何らかの価値があるのではなく、それに伴う「情報」に価値がある、といえるのではないだろうか。そして、このことは前回の記事で書いた「物質的/非物質的」なものにかんするレヴィの考察にも通じるが、情報による価値は、それが「非物質的」だから、ではなくそれが「脱領土化されている」という点にある。このように、価値は脱領土化という性質をもっている情報により生じており、先に引用文の内容を理解できるのではないか。そして、さらに、

お金は富ではなく、それのヴァーチャル性である。(p.166)

 というレヴィの主張も理解できる。貨幣は―お米でも、金塊でも何でも良いだろうが―富ではなく、それがヴァーチャル化されたものという在り方をしているので、「富のヴァーチャル性」だ、ということになる。ここで、ヴァーチャル化の特徴をおさらいしておくと、1)脱領土化、2)公共性、匿名性への移行、3)メビウス効果、が挙げられる。貨幣の流動性はこのようにヴァーチャル化の諸特徴から導き出されている。
 貨幣への考察に始まり、それに価値を与えているものとしての情報、「経済的財」としての情報と知識を経て、前回の記事とあわせて、再び、「経済のダイナミズム」へと戻ってきた。

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