2012年6月6日水曜日

『愛と経済のロゴス』勉強会用メモ(4)

『愛と経済のロゴス』において、中沢新一はまず冒頭で「経済」という活動が「愛」と同様、人間の欲望に基づくダイナミックな運動だと指摘している(pp.12-15)。彼の主張とは少し異なるかもしれないが、経済という活動のダイナミズムをP・レヴィ『ヴァーチャルとは何か?』の考察をもとにみていく事にしよう。
 そこで、レヴィはまず、

出来事の秩序にあるものは全て、アクチュアル化とヴァーチャル化とのダイナミズムに属しているのである。(p.68)

 と述べているが、この主張がどのようにしてなされているのか、この点から見ていこう。この主張が登場するのは第四章「経済のヴァーチャル化」であり、すこし遠回りになるが『愛と経済のロゴス』との関連を考慮し、この章全体の議論も追うことにしたい。レヴィは現代の経済の特徴が「脱領土化」であり、「ヴァーチャル化」だと指摘している。これは人や物の移動、流通という「輸送サービス」が経済活動のほぼ半分を占めている、ということから導かれた主張である。彼の論の展開にしたがい、「金融という事例」を検討してみることにしよう。
 この「金融活動」について、レヴィはそれが「世界的経済の脈打つ心臓」であり、「ヴァーチャル化の台頭の最も特徴的な活動の一つ」と考えており、というのも土地などの「具体的な事物」である不動財よりも「貨幣」という動財がその活動を支えているからであり、そのようなものとしての「貨幣」に、ヴァーチャル化の特徴を見ているからだ。それについて、彼は以下のように語っている。

 貨幣(とより複雑な金融の手段)の発明と発展において、ヴァーチャル化の特質をよく示すものは、単にそれがここや今にしばられていないということ、つまり脱領土化であるというだけでない。それは同時に公共性や匿名性への移行、分配と交換の可能性、諸個人間の交渉や力関係の絶え間ない作用が、非人格的なメカニズムによって部分的な代用であるという性質もまたそうである。(pp.59-60)

 貨幣はヴァーチャル化の特性として1)脱領土化、2)公共性、匿名性への移行、3)「分配と交換の可能性」、4)非人格的なメカニズムによる部分的な代用、を備えている。物々交換において移動するモノよりも、貨幣はより高い流動性を持っていることは貨幣経済の発展をみれば容易に理解できるだろうが、現在の経済は貨幣よりも流動性の高いモノの出現により、「金銭と情報が次第に等価なものとなっていく」のだ。


―補足―

 貨幣経済の発展についての言及は網野善彦『無縁・公界・楽』、『日本中世に何が起きたか』、桜井英治『贈与の歴史学』を参考にしている。どちらも、日本・中世における貨幣経済の発展を考察しているが、このような発展が生じたのは日本に限ったことではない。この点については、後日、機会があれば書くことにする。

―補足2―

 貨幣は交換が容易である、というレヴィの主張が「匿名性」と関連付けられていることについて、これはセール『生成』でより詳しく見ることができる。セールは文字のぎっしりと詰まったページは「相互に交換することはない」が、空白のページは「意味を持たないので」容易に交換可能だとしている。特異性をもたないものである「空白のページ」、そこにセールは「貨幣」の特徴を見ている。セールは『生成』において「貨幣」(それから情報)について、以下のように述べている。

 貨幣は無限定であり、普遍的等価物として、それは全てであり、空白の意味として、それは何物でもない。
 空白の意味として、情報は普遍的等価物としてのその場所を占めつつある。(p.62)
 貨幣の流動性は、それが「空白=匿名性」により担保されている。貨幣と情報は、どちらも匿名性という特徴を備えているので、容易に交換される。とすると、貨幣と情報(さらにレヴィは「知識」を付け加えている)への考察が必要となる。


・情報と知識

 では、「情報」あるいは「知識」と経済はどのように関連してくるのだろうか。先ほど、金銭と情報が等価になっていく、と引用した、その点に関する議論を追っていくことにしよう。

 観光、通信、金融といった本来のヴァーチャル化のセクターを越えて、今日、活動の全体はまず情報と知識という非常に特別な経済的財に依存している。
 実際、情報と知識は今後、富を生産する主要な源泉となるのだ。(p.62)
 情報と知識の周辺状況は著しく変化した。レヴィは、私たちと「情報と知識」との関係は70年代以降、根本的に新しくなった、と指摘している。では、どのように。情報と知識は、70年代以降、今までそれらが持っていた「刷新のサイクル」が、「より短い刷新のサイクル」へと変化したからだ。「知識の秩序」はそれ自身が「新たな技術あるいは新たな社会経済的な布置」を要求するのではなく、逆にそれらにより再検討の対象となっているのだ。知の在り方じたいが変化したのだろう。

 私たちは活動の背景を構成しているような安定した知識の活用というあり方から、永続的な修習、今後は前景へと浮かんでくるような知識のただ中での連続的な航海へと移ったのだ。(p.62)
 レヴィは情報と知識について、「経済的な財の中で今後最も重要になっていく」と述べている。そこで、情報と知識はどのような「経済的特性」を得ているのだろうか。
 最初の回答としてレヴィが想定するのは、情報と知識が「非物質的」な財にかかわっている、というものだ。この命題を検討するに当たり、「実体の形而上学」、事物には「物質的」なものと「非物質的」なものがある、ということが前提となっている。この前提に基づいて考察すると、「純粋に物質的な財の中には第一質料しかみつからない」ので、「結局のところ非物質的な次元によって価値がある」ということになる(p.65)。かといって、「非物質的」な情報と「物質的」な支持体を分離することはできない。どんな情報も、それを記録するための「物質的」な「登録のあらゆる場」がなくてはならないのだ。ここまでくれば、中沢新一が指摘するような経済のダイナミズムをレヴィへの考察から見出すには、次の引用をみれば、一目瞭然だろう。

 正確には、知識と情報は「非物質的」なのではなく脱領土化されているのである。特権的な支持体に排他的に結びつけられるようなあり方から離れ、それは旅をすることができるのである。しかし情報と知識はそれ以上に「物質的」なのではない!物質的とか非物質的とかいう二項対立は実体や事物にとってしか価値をもたないのに対し、情報と知識は出来事ないし過程の秩序にあるのだ。(p.66)
 経済活動が、貨幣、情報と知識の考察を経て、冒頭で引用した出来事のダイナミズムへと戻ってきた。

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