玄関の外に出て煙草に火を付ける。
一日の内で必ず一回はする習慣である。
通行人を見ながら携帯灰皿片手に、一吸い、一吐き。
通行人にはカップルもいる。彼ら彼女たちには申し訳ないが、
私の目の前を通るだけで、私のひがみの対象となってしまう。
なぜ、お前たちには恋人がいるのに、俺には…(省略)…!?
このとき、僕は完全に見下している。しかし、優越感も何もない。
あるのは自分の器の小ささの実感、ひがみ、そして漠然とした寂しさである。
要は、友人たちには自分たちの別れを美談の如く語り、
自分も今回の別れを美談として作り上げようとしていた。今現在もしている。
それは自分の未練を見ないためであり、友人たちに格好悪い部分を見せたくないからである。
そもそも格好良くはないが、意地を張っているのである。
そのせいで、何人かの友人には忙しい中、頻繁にメールをして迷惑をかけている。
自分の未練を認める。ようやくそんな作業を始めた。
認めたからといって、そこから解放されるわけでもない。
そんなに都合の良いものではないのである。
個人的な泥沼状態である。
そんな状況だからこそかもしれないが、いろいろと期待してしまう。
互いに嫌いになったわけではないこと、互いに評価していること。
これは数少ない光であり、僕の状況を最悪へと導かなかった要因である。
高校時代は当時の彼女が親友として信じていた友人との浮気により破局した。
絶望的だった。信じていた人に同時に二人から裏切りを受けたのである。
もちろんこれは一方的な解釈の仕方かもしれないが、
彼女と付き合っていた期間の五股かけれれていたという話を聞いた。
それからの人との付き合い方、距離の取り方は大学時代の僕を見てくれれば十分わかると思う。
今回に関しては、細かい内容は省くが、裏切りなどとは感じていない。
3ヶ月経った。「3ヶ月も」なのか「3ヶ月しか」なのかはわからない。
それでも、馬鹿みたいに毎日のように期待を抱いている。
バカみたいと言うよりも、馬鹿そのものである。
よく「新しい恋をすれば」みたいな言い方をするが、
僕が求めているのは新しい恋でも、一般名詞としての彼女でもない。
それだけははっきりしている。
だが、今はどうにもならない。
唯一どうにかできるのは、勉強することだけである。
夏休みは飛躍の期間にしたい。バイトも始めたいし、語学もしっかりとやりたい。
それでも、漠然とした寂しさは残る。
僕はこれまで多くの人に助けられ、守られてきたいた。
良い環境で22年生きてきた。自分は中心にはならないにしても、周りには素敵な友人がいた。
そして、今でも素敵な友人はいる。
だから、彼らに頼ってしまうのだと思う。
今はもう同じ環境ではない。だから、余計に迷惑をかけているのだと思う。
一人で居ることになれ、平気な人間になりたいと思うが、時間がかかる。
でも、周りに素敵な友人たちがいること、孤独であることは矛盾しないだろうし、
もう少し、孤独に身を置き、孤独に身を委ねれるようになりたい。
最近は、独身もいいかも……とふと思った。
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