2009年7月28日火曜日

国外退去

1週間ほど実家に帰省していました。
妹が高3で最後の大会なので、応援に行きました。
(妹は野球部のマネージャーですが……)

気づけばベスト8です。
東海地方はまだ梅雨は明けておらず、
試合は度々順延となっており、大変なようです。

それはさておき、
中学時代の友人に会い、特に仲の良くない同級生たちの話を聞きました。
気づけば結婚、出産、離婚。

これだから田舎は嫌である。
することが他にないのであろう。
地元は好きだし、田舎は好きである。
なにせ18年間、がっつり育ってきたのだから当然かもしれない。

しかし、同級生の話を聞くと吐き気がする。
22歳で家庭を持つって……子供がいるって……
きっと、すごいことなのだろう……

自分が半ば諦めていることを嫌悪してきた奴らが手に入れているのかと思うと、腹が立つ。

若くしての結婚については「田舎にはすることがない」というのが一般的だろう。
ないなら、東京なり、京都なりに出れば良いだけの話である。

そんなことをイライラ考えながら、東京へ戻ってきた。
しかし、東京は東京で吐き気を覚える。
食事は相変わらずだし、夏バテ、日にあたったのが原因かもしれない。

実家、地元だけではなく日本にいるのも嫌になりつつある。
嫌になったので、なんか海に飛び込みたくなったがあいにく近くに海はない。残念。

勉強頑張って早く海外に行きたい。


そんなことを言えば、先輩はふざけて「就労ビザ切れてないの?」とか、
「不法入国だろ?」というだろう……

2009年7月18日土曜日

見送り

「行ってきます」
小、中、高に通った12年間、僕は家族に向かって言っていた。
何気ない挨拶だが、この一言で父はネクタイを結びながら「気を付けてな」の一言を、
母は「忘れ物は?」の一言を、祖父母は「行ってらっしゃい」の一言をそれぞれが僕に言う。
本当に何気ない挨拶である。学校で友人に会い「おはよう」と言うようなものである。
意味のない形式的なものかもしれない。

出かける際の「行ってきます」を意識したのは中学に上がったばかりのころである。
ある事件をきっかけに1週間ではあるが不登校になった。
父は最初二日は休みをとり、一緒に当時好きだったジャッキー・チェンの映画などを観てくれた。
それ以外の日に何をしていたかは覚えていない。
きっと、朝起きて、ご飯を食べる、支度をする、テレビ、昼ごはん、テレビ、夕ご飯、寝る。
こな流れだろう。先輩たちがゲームを持ってうちに遊びに来てくれた。007のゲームだった。
プロテインまで持ってきてくれた。
担任と学年主任が来りもした。「つらいだろうが、学校に来てくれ」そんな感じだった。
学年主任には市民病院の緊急外来で会っていたが、彼はその時は何も気づいていなかっただろう。
気づく要素などないのだ。風邪でもないのに38度を超える熱と全身の痛み。
ただ緊急外来にいるだけでは急な風邪と区別はつかないし、何もわからないはずなのだ。

無事に帰ってこなかった息子が心配なのだろう。父や母が僕や姉、妹の見送りを欠かしたことはない。
妹はいつもそれをすり抜けようと必死になって出かけていた。

「行ってきます」
そんな親の気持ちを何となく感じていたのか、自分を奮い立たせるために自分に誓いを立てていたのか。
どちらでもあるだろうし、そうではないかもしれない。
「行って―来ます」
出かける私は、無事に帰ってくることを約束しながら靴を履き、体育着と弁当、読書用の本、筆箱、
そのくらいしか入っていないカバンを背負っていたのである。

今回は僕は見送る立場である。
いや、見送ることすらできない。何もできないのである。
出来たところで、大した役にも立たず、かといって問題があるわけでもない。
ただ、「いってらっしゃい」の一言に「行ってきます」といってくれ。
そして、「おかえっり」の一言に「ただいま、いってきました」と言ってくれ。

きっと自信とともに「おかえり」は言える。
だから、笑顔とともに「只今、行って―来ました」といってくれ。
僕はただ待つだけの人間じゃない。成長して帰ってくる君に見合う、それ以上の成長はして見せる。
僕だって男だ。カッコ悪いところばかり見せるわけにはいかない。

だから、悲しくなるようなことは言わないでくれ。
「いってきます」その一言だけでいい。十分である。

2009年7月16日木曜日

なんとなく

レポートを書いたので載せてみた。
きっと改行とか、日本語とか、ロジックの関係で読みにくいと思います。
何かあれば指摘してくださると助かります。

なんて荒いレポートだろう、と嘆いています。




M・セールの「図表的モデル」を手掛かりにしたライプニッツの可能性」

 M・セールは『コミュニケーション 〈ヘルメスⅠ〉』 において一つのモデルとして「図表的モデル」を提出している。今回はまずこのモデルへの考察、そしてライプニッツ哲学における出来事、可能性への適用を考えることにする。
 まず、セールはこののちに「図表的モデル」と呼ぶ「網の目の形で描き出された図」について「この図はある瞬間に(……)、複数の点(頂点)によって形成される。各点は、複数の分岐(道[辺])によって互いに結びつけられている」 としている。さらに、この「図表的モデル」を構成している各々の点(頂点)は「ひとつの命題や、決定された経験的な事物の集合の中の実際に定義し得るひとつの要素を表す」 とする。
 セールは「弁証法的論法」との比較において「図表的モデル」の特徴を顕著にさせていく。両者の特徴は一つのケースを想定して顕著にされていく。それは二つの命題、二つの頂点を考えた場合、一方から他方へと行く道についてである。前者の「弁証法的論法」においてそれは「単線的であり、道筋の単一性や単純性、……に特徴づけられている」のである。それとは逆に「図表的モデル」の方は「媒介的な道筋の多様性や複雑性で特徴づけられる」のである。「図表的モデル」においてはある点から他の点へと至る経路(道筋)は直線的な最短距離の道筋だけではなく、非常に多くの道筋をとることが可能である。さらには別の第3、第4……複数の点を通過することさえ可能である。経路の複数性、複数の点の通過可能性により、このモデルでは「多様性や複雑性」が確保されているのであり、この「多様性や複雑性」こそが比較対象である「弁証法的論法」にはない「図表的モデル」の特徴である。
 「図表的モデル」の簡略的な説明は以上のようである。このモデルをライプニッツ哲学における出来事や可能性を語るのに有効なモデルであると仮定して、実際にセールのモデルをライプニッツの概念を考えるために適用させていきたい。
 ここで、まず先にライプニッツの「出来事」、「可能性」についてセールの「図表的モデル」と同様に簡略的に示しておきたい。まず「出来事」であるがこれはライプニッツ哲学におけるひとつの有名な命題「全ての述語は主語のうちにある」という命題の述語である。アルノーとの往復書簡においてライプニッツは「述語または出来事」 という言い換えを行っている。さらには、主語と述語の関係などを論じるときにライプニッツが用いる例 をみることで「述語または出来事」という彼の想定がより強固なものとなるだろう。ここでの「出来事」とは属性ではなく、動詞のことである。おそらくライプニッツにとって属性は動詞つまり「出来事」によって導き出され得るものである。
 次に「可能性」についてであるが、簡潔に言うならば、ある命題に対してその対立命題を措定したときに、対立命題が矛盾しなければ、可能であるということが出来る。例えば、歴史的事実として「カエサルはルビコン河を渡った」が対立命題として「カエサルはルビコン河を渡らなかった」と言っても命題としては矛盾しない。事実として成立した出来事に対して措定された対立命題の無矛盾性によって可能性は確保される。このとき、命題としては矛盾さえ含んでいなければどんなことも可能であるが、単なる説明のしやすさのためか、ライプニッツは例として歴史的事実を常に持ちだしている。この点においてライプニッツの「可能性」を未来へ向けられた「~するこができる」ではなく、常に過去に向けられた「~することができた」である考えることが出来る。しかし、ライプニッツ哲学の諸概念は相互的なものとして考えなければならない 。「可能性」に関しても二通りの考え方が成立することに注意しなければならない 。
 簡略的にセールの「図表的モデル」、ライプニッツの「出来事」、「可能性」について論じた。ここから実際に後者二つをセールのモデルへ適用させていきたい。
 まず、セールの提出した「図表的モデル」における「点(頂点)」をライプニッツにおける「個体概念」として考えてみたとする。各々の「個体概念」を関係づけている「道筋」は何に当たるのだろうか。この「道筋」を「出来事」と考えてみることが可能である。「道筋」は多様であり、複雑である。ライプニッツにおいて「出来事」は無数の「可能世界」の中から選ばれた一つが現実化するが、他の「出来事」が生じた可能性もあるという点で多様である。さらに、「出来事」例えば「カエサルはルビコン河を渡った」というときこの命題には表れていない周囲の状況が悉く含まれている。例に挙げた命題においては「渡る」という「出来事」によって「カエサル」と「ルビコン河」が関係づけられている。しかし、この「出来事」は共時的、通時的に現実世界の全てと「カエサル」と「ルビコン河」を関係づけるという点において複雑である。だが「出来事」による共時的、通時的な複雑性を我々は認識することが出来ない。我々が認識できるのはライプニッツの言う「出来事」の極一部であり、この認識できる範囲の「出来事」、言い換えれば「カエサルはルビコン河を渡った」のように命題化可能な「出来事」だけである。
 この限定的な「出来事」は「カエサル」や「私」によって認識されるわけだが、この特権性は「カエサル」や「私」という「点(頂点)」の特権性に基づくのではない。セールのモデルにおいて「いかなる点も他の点に対して特権的ではないし、いかなる点もいずれかの点に一方的に従属してはいない」 のである。この認識の特権性をセールのモデルにおいて考えるならば、特権性はチェスの駒の強さのように「駒全体の配置や、敵方の網の目とのかかわりにおけるその分布の複雑さをふまえた上で、ひとつの時点における駒の相互的な状況に応じて、可変的である」 ことにより生じる。この可変的、特権的状況において私が認識できる範囲、セールの言葉をかりるなら「限定されているけれども局所的によく組織だてられている集合部分」は全体から切り取りが可能であるセールは言う。この切り取り可能ということをライプニッツに即して言うなら明確な表象のある認識ということができ、つまりは「カエサルはルビコン河を渡った」のように命題化可能な認識である。
 今までは「点(頂点)」を「個体概念」として考察を行ってきたが、セールが提示するモデルにおける「点(頂点)」をライプニッツにおける「出来事」として考えることも可能であるように思われる。そして、「出来事」同士の相互的な関係づけの中で集合全体から切り取り可能である「限定されているけれども局所的によく組織だてられている集合部分」を「個体概念」つまり一つの「実体」として考えることが出来る。
 セールの提示した「図表的モデル」について二通りの適用を示したが、今一つの問題があるように思う。それは「点(頂点)」の捉え方の問題である。この「点(頂点)」と「道筋(線)」の二重性についてセールは以下のように記述している。「ひとつの頂点はふたつまたはいくつかの道の交差点とみなすこができる。(……)これと相関的にひとつの道は、あらかじめ想定された二つの頂点の対応づけを起点にして形成された決定とみなすことができる」という二重性である。「点(頂点)」に関してドゥルーズは前者の立場をとっている 。この二重性により「点(頂点)」を「個体概念」または「出来事」と解釈することが可能である。
 最後にこの「図表的モデル」の目的は、諸命題や出来事の空間的展開の分布より「図表的モデル」の上に表れるひとつの状況、この状況は流動的で時間とともに全体的に変化する状況を形式的に示すことであるといえるのではないか。しかし、この形式的に示されたものは「多様性や複雑性」を含んでいる。この複雑性を「知と経験にとっての最良の補助者」とすることがセールにおける「図表的モデル」の目的である。この目的に多少なりとも即した形でライプニッツと関連付けることができていれば幸いである。

参考文献
M・セール 『コミュニケーション 〈ヘルメスⅠ〉』法政大学出版局(1985)
G・ドゥルーズ 『記号と事件』河出書房新社(2007)

2009年7月7日火曜日

ひがみ、未練、妄想

玄関の外に出て煙草に火を付ける。
一日の内で必ず一回はする習慣である。
通行人を見ながら携帯灰皿片手に、一吸い、一吐き。

通行人にはカップルもいる。彼ら彼女たちには申し訳ないが、
私の目の前を通るだけで、私のひがみの対象となってしまう。
なぜ、お前たちには恋人がいるのに、俺には…(省略)…!?
このとき、僕は完全に見下している。しかし、優越感も何もない。
あるのは自分の器の小ささの実感、ひがみ、そして漠然とした寂しさである。

要は、友人たちには自分たちの別れを美談の如く語り、
自分も今回の別れを美談として作り上げようとしていた。今現在もしている。
それは自分の未練を見ないためであり、友人たちに格好悪い部分を見せたくないからである。
そもそも格好良くはないが、意地を張っているのである。
そのせいで、何人かの友人には忙しい中、頻繁にメールをして迷惑をかけている。

自分の未練を認める。ようやくそんな作業を始めた。
認めたからといって、そこから解放されるわけでもない。
そんなに都合の良いものではないのである。

個人的な泥沼状態である。
そんな状況だからこそかもしれないが、いろいろと期待してしまう。
互いに嫌いになったわけではないこと、互いに評価していること。
これは数少ない光であり、僕の状況を最悪へと導かなかった要因である。

高校時代は当時の彼女が親友として信じていた友人との浮気により破局した。
絶望的だった。信じていた人に同時に二人から裏切りを受けたのである。
もちろんこれは一方的な解釈の仕方かもしれないが、
彼女と付き合っていた期間の五股かけれれていたという話を聞いた。

それからの人との付き合い方、距離の取り方は大学時代の僕を見てくれれば十分わかると思う。

今回に関しては、細かい内容は省くが、裏切りなどとは感じていない。


3ヶ月経った。「3ヶ月も」なのか「3ヶ月しか」なのかはわからない。
それでも、馬鹿みたいに毎日のように期待を抱いている。
バカみたいと言うよりも、馬鹿そのものである。
よく「新しい恋をすれば」みたいな言い方をするが、
僕が求めているのは新しい恋でも、一般名詞としての彼女でもない。
それだけははっきりしている。

だが、今はどうにもならない。
唯一どうにかできるのは、勉強することだけである。
夏休みは飛躍の期間にしたい。バイトも始めたいし、語学もしっかりとやりたい。

それでも、漠然とした寂しさは残る。
僕はこれまで多くの人に助けられ、守られてきたいた。
良い環境で22年生きてきた。自分は中心にはならないにしても、周りには素敵な友人がいた。
そして、今でも素敵な友人はいる。
だから、彼らに頼ってしまうのだと思う。
今はもう同じ環境ではない。だから、余計に迷惑をかけているのだと思う。

一人で居ることになれ、平気な人間になりたいと思うが、時間がかかる。
でも、周りに素敵な友人たちがいること、孤独であることは矛盾しないだろうし、
もう少し、孤独に身を置き、孤独に身を委ねれるようになりたい。


最近は、独身もいいかも……とふと思った。

2009年7月3日金曜日

レポート以前 断片として

そろそろレポート提出が近い。久しぶりに目白へ行ったが、授業は眠気との格闘であった。
ふと、レポートのことを考え、板書そっちのけでノートにメモをした。
テーマを仮設定した。

「可能性、出来事、照応関係」

・人間にとっての「可能性」は出来事に対して先立っているものではなく、出来事の生じた後に行為がなされた地点に「可能性」を挿入することにより成立する。出来事の後でのみ「可能性」を認識できる。つまり、「将来~になれる」などはこの場合、「可能性」としてはその地位を確保されていない。

・ライプニッツの「可能性」は論理的に導き出される。対立命題の無矛盾性により成立する。「可能性」という言葉の適応(?)には二種類考えられ得る。

(1)神における「可能性」。これは人間にとっては先験的に存在している。
(2)出来事に対して対立命題を定立し、獲得するような人間にとっての「可能性」。

・(1)に関連して。
神の悟性における無数の「可能世界」から神は現実化するべき世界を一つ選ぶ。このとき他の選択肢が存在したこと、そして決定されなかった世界が「可能世界」として「現実世界」に対する残余としてあり続ける。この意味において神の「可能性」は存在しうるのではないか。

・(2)に関連して。
神の領域において残余として存在し続けている「可能世界」の認識。これが人間が「可能性」を確保する方法、つまり対立命題の定立に当たるのではないだろうか。ドゥルーズが「可能性」を創造されるものとしてとらえている(ようである)。対立命題により現にある出来事が生じたこの「現実世界」以外の世界の創造を行う。これが残余の認識であり、「可能性」の創造ではないか。

・出来事の中には通時的、共時的な出来事がすべて包含されている。このことを知るには次のような条件がつく。
条件:出来事をすべて判明に読み解くことができれば。
もし無数のモナドから一つを選び取り、そのモナドに起きた出来事をすべて判明に読み解くことができたとする。このとき、他のモナドについても判明に知ることが出来る。さらにこのとき、モナドにおける認識は宇宙全体へと広がり、二つは同一のものとして合一しうるはずである。モナドはその極限においては宇宙全体つまり宇宙の極限と一致し得る(はず)。

あるモナドの極限と他のモナドの極限はする。このとき一方において他方のすべてを判明に知ることができる関係、照応関係が成立している。