2009年9月9日水曜日

体を引きずりながら

実際、引きずられているのは心の方だ。
今まで、すっきりと別れたことがなく、その都度、引きずるものが増える。

友人、先輩と会話したい気がするが、したくない気もする。
ライプニッツ、西田幾多郎、M・セールは好きで研究したいが、
勉強は苦手である。
好きだから努力とはいわないだろう。

それにしても、引きずっているものが多い気がする。
それを気づかれないようにしていると、自分にいくつもの役を課しているので、
どの役で、誰に接すれば良いか判断するので、自分は多面的である。

「自分探し」をしきりに叫ぶ学部に在籍していたし、
それを声高に叫び、半ば強制的にこちらにも要求してくるような人々もいた。

こうやっていろいろなものを引きずり、
必要以上にそれぞれを重大な事のようにみている。

だから、動かなくなったのだと思う。

2009年9月7日月曜日

距離の問題

最初に言っておくが、別に数学の話ではない。
「距離=数学」の発想は数学嫌いの発想かもしれない。

最近、友人、後輩との会話でよく出てくる話について少し書きたい。

「好きには好きの悩みがある」
とても贅沢な、幸せな悩みかもしれないが、
悩みである以上、悶々としたり、悩むことの苦痛もある。
好きでやってきたこととの距離をようやく3年ほどたった今、ふと考えだした。
むしろ、他のやりたいこと、やらなければならないこと、そして一番好きなこと。
この3つとの関わり方(距離感)にふと悩んでみた。
「少し書きたい」と言いつつも、いざ文章で説明するのも難しい。
とにかく言いたいのは「好きには好きの悩みがある」ということだ。

もう一つは人との距離感である。
学校が休みのせいか、日常の会話が激減。人と話をするのに緊張する。
話し始めなど、何を話して良いのか悩む。
話をふってもらえればしゃべりだすが、一旦しゃべりだすとものすごい勢いでしゃべる。
特に自分の好きな分野に関しては、ほっておいてもしゃべり続ける。

後は単純に友人、先輩との距離感である。
結局それがわからなくなり、6,7月は勉強会にもいかなくなった。
そんな状況を未だに引きずっている。

書きたかったことはとりあえずこんな感じである。
一番良くない書きっぱなしであるが、書いている本人がよくわかっていないのでしょうがない。