2010年11月5日金曜日

断片

修士論文にて、ライプニッツの連続律を扱おうと考えている。
もともと、微小表象の問題を扱うため、質料(第一質料)の問題を扱うために、
連続律について考察し、言及することの必要性を感じたからである。

しかし、連続律について考えていると、つまるところ「関係 relation」の問題に突き当たる。
連続とは一つの関係(づけられ方)であると考えることが出来る。

連続と言うときライプニッツが前提としているのは複合的であること、つまり分割可能性であると思う。
ある任意の塊(物体、質料)が分割可能であることと、それが複合的であるということは同じである。
『結合法論』や『数学の形而上学的基礎』などにおける「全体-部分」の関係の説明を見れば、
このように考えることに無理はないだろう。

だが、ある任意の物体に依らない連続性というものがあるのではないだろうか。
一言でいえば「離散的な」ものの連続性(関係づけ)の問題である。
これは無限に分割可能とはいえ、ある程度の大きさを持っている質料同士が、
連続(関係)することにより、複合されたものを構成している。
個々の物質同士を離散的であると考えることもできる。
更に拡大して言うならば「見かけ上全く関係のないようにみえるもの」同士が、
どのように関係しているのか、という問題にもなる。



関係に関して、ライプニッツは二種類の区別を設けいているが、『結合法論』と『人間知性新論』では、
その区分の仕方は異なっている。
前者における関係はunio(結合、統合)かconvenientia(適合)の二つである。
(詳細は省略)
後者における関係はcomparaison(比較)に基づくもの、concour(協働)に基づくものの二つである。

この関係の区分についてはきちんと考える必要性がある。
ことどちらの区分においても後者(適合、協働)というものが離散的連続性(離散的関係性)を考える上で、
非常に重要であると思われる。
しかし、ここで注意すべき点は、注意して適合と協働という関係を扱わなくては、
それらの関係においてあらゆるものが予定調和へと即座に還元されてしまうという点である。


離散的、ということをライプニッツが表立って、明確に言っている箇所を私は見つけたことがない。
つまり離散的連続性をライプニッツにおいて考えるには「かくあるべし」という、
予測の様なものが必要となる。
だからこそ、取り扱いには注意が必要となる。
しかし、これは非常に面白いテーマだと思うので、修士論文の裏テーマとして扱いたい。


途切れ途切れだが、以上。
断片、終了。