2010年4月16日金曜日

実感なきまま

実感なきまま日常は進む。
いや、むしろ日常生活の方が実感というものを感じ取れるのではないだろうか。
不勉強さ、労働、満腹感……何かを現実として感じ取ること、
それはやはり日常の強みというのではないだろうか。

そこに「非日常的な出来事」つまり「事件」と名付けるならば、
「事件」はその強烈さゆえに、その駆け抜けるスピードの速さゆえに、
「実感」を感じさせることはない。

「事件」は云々……


修論を来年書くにしても、テーマは早いうちに決めたほうがよい。
それは私が読解に必要な力が人より劣るからである。
劣ることを言い訳にはできないし、そこに胡坐をかくのも駄目である。
今年は血反吐を吐くくらい出来たら良いなと思うし、力、語学力が何よりも課題なのは当の前にわかっている。
わかっていることを実行しないのは愚の骨頂であるだろう。

今年の努力次第であるが、修論のテーマを考えてみた。

表向きは「ライプニッツの観念、認識」のあたりで書きたいということになっているが、
実際は「ライプニッツにおける天使の身体とは」ということについて書きたい。

そう、ふと思った。