2009年11月6日金曜日

ハリー・ポッター [断片]

本日の授業にて「パノプティコン」の名が挙がった。
細かな話は夢うつつであったので覚えていないということにする。

石田衣良『うつくしい子ども』に出てくる学校の構造がイメージする限り、
「パノプティコン」である。
(小学校だったので)6学年にそれぞれ4クラスあると仮定する。
クラス毎にA~Dまでのアルファベットをふる。
1年~6年までのAクラス、1年~6年までのBクラス…とDクラスまで振り分け、
AクラスはA棟、BクラスはB棟…と同様に振り分ける。
各クラスは同学年であっても交流が最小限になるようにするため、
それぞれの棟の行き来が出来ないようにする。
もし、行き来をする場合は中の教員棟を通過しなければならない。

これだけではさっぱりなのでもう一つ『ハリー・ポッター』を持ち出す。
『ハリー・ポッター』でも寮同志の交流は授業、食事など最小限に留められており、
同学年の横の繋がりよりも、縦の繋がりの方が強い。
ここでは各寮の関係は競争相手、つまり敵対関係にある。
なぜ、同じ学校内であるのにも関わらず敵対関係にあるのだろうか。
彼らは寮対抗で年間の優秀な寮を決める、という戦いの中におかれている。
一人の生活態度、成績などが点数の加減に関わってくるのである。
悪い態度をとったと判断された場合は減点となり、逆は加点となる。

ここでは生活の規範を守るか否かということが点数の加減に関わっている。
彼らホグワーツで生活している生徒寮の為に規範を守るべきものとして強制されている。
このとき、見つからなければと悪戯するものがいるがそれは極めて少数派であり、
大半は常に規範を守って生活するようになっている。
このとき、彼らの中では「見ている」という点数の判断をする教師の見えざる権力を
知らず知らずのうちに自らと密接なものとして内面化しているのである。

見えざる権力を内面化することを前提として、彼らの生活は行われるが、
それをごまかす要素としての得点制を導入し、ゲーム感覚を装うことにより、
この内面化はより強固なものとなるが、それは知らず知らずのうちに行われていることである。