2009年8月20日木曜日

無題

俺は絶望したのだよ。世界にか?自分にか?
何に絶望したのか、それは問題ではないのだよ。
いや待て、問題かもしれない。考えてみるとするか。どうせ時間はあるのだ。それこそ絶望するくらい。
俺は若い頃は世界に絶望していた。今の状況を見ればわかるだろ?
内紛やテロみたいな表面化した暴力は絶えないし、経済格差なんてものや、見えない暴力なんてものがテレビに画面から滲み出てその辺に蔓延しているだろ?
ましてや俺はゲバラやレーニン、マルクスなんかが好きなんだ。大して読んだこともないが、好きなんだ。
だが、彼らほど世界つまり今の現状を打破し、改善しようとする意志がない。自分にそんな力がないことを悟った気でいたもんだ。
でも、興味はあったんだ。意志や力とは全く違うが、知りたいと思ってたんだ。だって、宗教や戦争について学んだ知識をしゃべっている知識人はカッコよく見えるだろう?
だから、俺も勉強したかったんだ。特に宗教に興味があったんだ。「俺、宗教について勉強してるんだ」って言ったらカッコよく聞こえるだろ?ついでに俺も3割増しくらいでかっこよく見えればと思ってたんだ。至って不純な動機だよ。本当に苦しんでいるって言われてる人たちを食い物にしようとしてたんだからな。

実際に少しかじった。結局は哲学を勉強してるし、これからも続けたいって思ってんだ。
あくまで自分の欲求に従ったまでだよ。だから、人の為とか、平和云々みたいな大層なものはない。何て言ったっけ、そうだ、大義名分ってやつはないよ。
もう3年近くねちねち考えているんだが、今度は世界じゃなく自分に絶望している気がするんだ。
結局は自分への絶望に気づきたくないから、世界の悲惨な状況のせいにしてただけな気がし出したんだ。
「こんな時代に生まれた自分はかわいそうだ」ってことにしてしまえば、楽だもんな。
もし、自分への絶望みたいなもんに気づいていたら俺は5、6年前には確実に死んでただろうからね。
うまいこと責任転嫁してたんだよ。自己保存に本能がうまく向いていたんだろうな。
でも、今の状態はもっとひどいもんだよ。自分なり世界に絶望してんじゃなく、自分とか世界を嫌悪してんだから悲惨さ。俺自身を殺すほどの力も持ってなければ、明るさで満ちている生を歩かせてくれるほどの力も持ってないんだから。そうだな、空中ブランコみたいなもんだよ。常に重力によって下に引っ張られているが、ブランコと自分の筋肉を使ってそれに逆らって飛ぼうとしてるようなもんだってことだよ。
個性だ、アイデンティティとか言われてるから余計に自分を嫌悪してんだろうな。けど、そんなもんはあるのかい?俺にはよくわからん。最近の関心は体系や形式ってことだからな。それ自体に意味はなく、点と線でつくられる一つの状況によって与えられるもんだからな。

結局は自分に絶望することも世界に絶望することもおなじことなんだろうよ。
自己の外部化したやつが世界みたいなもんだろうし、世界を内部化したもんが自己みたいなもんだろう、って思ってんだ。
これが、今考えてる一応の結論だ、どうだ?


「お前はいろいろぼかして話しているが、そもそもお前に言っている「絶望」ってやつはどんなものなんだい?」

それには俺は答えられない。
俺が考えてたのは俺が絶望しているのは自分に対してなのか、世界に対してなのかだからな。
でも、最近読んでる本で面白いことを書いてる奴がいたんだよ。
ヘンリー・ミラーって奴の『北回帰線』って本の一節で奴は絶対の絶望に目覚めて救われたってかいてあったんだよ。変な奴だよ。でも、奴は「生 Life」に執着してたらしいってのが気に入ってんだよ。